活動

6.18 日韓が防衛問題で協力する事が優先課題ではないでしょうか?

日韓防衛協定、ついに締結なるか

韓国国防部(日本では防衛省に相当)の金寛鎮(キム・グァンジン)長官が、早ければ今月末にも日本を訪問して田中直紀防衛相と会談し、日韓の間で軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジ・ソミア)と物品・役務相互提供協定(ACSA=アクサ)を締結すると発表した。
日本側では、田中直紀防衛相が5/8日午前の記者会見で、これらの方針を明らかにした。
この両協定は、日韓防衛協定と呼ばれている。
日韓両国が正式に軍事協定を結ぶことになれば、1945年に韓国が独立して以来初めてのことになる。
これまで日韓両国は、両軍事協定の必要性を十分に理解しつつも歴史認識や領土問題などが障壁となり、実現は難しいとされてきた。

日韓防衛協定とは

日本は米国との間に日米同盟を結び、韓国は韓米同盟を結んでいる。
しかし、日本と韓国の間には軍事同盟は存在せず、これが安全保障において大きなネックになってきた。
米国は、これまでに何度も、日韓両国が歴史認識問題や領土問題を乗り越え、軍事協定を結ぶべきだと提言をしてきた。
これが実現すれば、中国や北朝鮮に対して非常に大きな抑止力になるからである。
それでは、上にあげた二つの協定は具体的にどういう内容なのか、簡単に説明しよう。
GSOMIA(ジ・ソミア)とは、二つの国が秘密軍事情報を提供し合う際、第三国への漏洩を防ぐための協定である。
これが締結されれば、主に北朝鮮に関する軍事情報を日韓が共有できることになる。
日本には、最先端の科学技術を駆使した情報収集システムがあり、韓国ではその情報を欲している。
すなわちイージス艦や早期警戒機・空中警戒管制機などによる情報である。
逆に韓国には、対北朝鮮HUMINT(ヒュ・ミント=スパイを含む人的ネットワークによって取得した情報)があり、日本はその情報を必要としている。
これらの情報が日韓両国で共有されるようになれば、両国の安全保障は格段に強化されることになる。
またACSA(アクサ)とは、同盟国の軍隊との間で物資や役務の相互利用を行う枠組みを定める二国間協定であり、国連平和維持活動(PKO)などで、後方支援面での協力ができるようになる。
日本ではこれまでに米国と豪州との間にACSAを締結しており、韓国では、米国やニュージーランドなど約10カ国とACSAを締結している。

自由と民主主義を守るための日韓防衛協定を締結せよ

日韓では、昨年1月にソウルで両国の国防トップ会談が行われたときから締結を話し合ってきたが、実際には進展は見られなかった。
その原因は、大半が韓国内における反日論によるものだったという。
しかし、北朝鮮が人工衛星と称した事実上の弾道ミサイルを発射し、今後もさらなる威嚇攻撃を示唆するなどの不安定性が高まることによって情勢は一気に激変した。
韓国内においても、早期にこれらの協定を締結することが望ましいというコンセンサスが形成されたというのだ。
韓国内での議論は北朝鮮の不安定さによるものだが、日本としては今後の中国の軍事的脅威に対する備えとしての意味合いが非常に強い。
もちろん日米同盟が今のところ中国に対する大きな抑止力になっているが、今後は日韓米の三か国同盟が結ばれなければ間違いなく軍事バランスが崩れることになる。
中国の政治の核心には共産主義があり、共産主義には明確な覇権主義と世界制覇の意思がある。
この野望を阻止するには、自由と民主主義を守る国家群が協力して中国に対する包囲網を築き、共産主義の脅威に対抗しなければならない。
そのため日韓防衛協定の締結が必要である。
そして、それがいよいよ締結される可能性が高まってきた。
ぜひこれを実現させ、日韓米が自由と民主主義を守る世界的な砦となることを期待したい。

(VOC 機関紙より/一部投稿文変更・野口拝)

2011.7.23 長野へ行き、歴史探訪をする。

【4連合会】在日歴史探訪 松代を巡る

 祖国統一の決意を新たにする第4連合会は、光復節(終戦記念日)をもうすぐ迎えるにあたって7月23日、「在日歴史探訪松代を巡る」と題し、長野県松代を訪ね、統一祈願をした。

青木薫平和統一聯合第4地区会長を中心に遠くは栃木、群馬から総勢28人が参加した。

在日歴史探訪松代を巡る

松代大本営は、大日本帝国生き残りのために多くの韓国人が徴用され、犠牲となった場所である。
参加者は詳しい説明を受けながら、当時の状況がどのようなものであったかを知ることができた。
6ヶ月で6kmという岩盤を発破により砕き、爆風で土煙が立ちこめていても、作業を休むこともさせられなかった内容を聞き、参加者の胸にはどうしようもなくこみ上げてくる悲しみがあり、地下壕の行き止まりで、円になり統一の歌を歌った。

統一の歌を歌う

慰霊のシーンでは韓国牧師が祈祷を捧げ、参加者らは祖国が分断されたしまった悲しみを拭うために、祖国統一の決意を強く持った。

記事 衣川

催し物のご案内

4連合会の企画です。

【群馬】第一回PEACE杯ゴルフコンペ

ゴルフコンペちらし

今まさに春たけなわというとき、新年度を迎え、多忙な日々をお過ごしのことと存じます。ぜひ、「PEACE杯ゴルフコンペ」に参加して、思いきり羽根を伸ばして下さい。花吹雪の舞う中、ご自慢の腕を存分に振るって下さい。
ゴルフ好きの皆様に多数ご参加いただけますように、心よりお願い申し上げます。
・日時 4月24日(火)
集合時間 AM6:20(コンペ受付とゴルフ場受付)
スタート時間 IN    AM7:04 3組
OUT  AM7:04 3組
オフィシャルハンデ

・開催コース  藤岡ゴルフカントリー倶楽部  西コース
住所 群馬県藤岡市白石2925 TEL 0274-23-1111

・主催 平和統一聯合第4連合会

・参加費用
プレー費:4,500円(昼食含む)
コンペ費:3,000円(コンペの受付で)

・募集人員 24人(6組)

・申し込み先
事務局長:朴星勇(TEL:090-6657-6451  FAX:027-386-5442)

2010年9月 「足利学校」を訪問致しました!

平和統一聨合栃木県連合会は、去る9月15日に、
第3回「栃木の歴史を訪ねて」と題し、栃木県足利市にある「足利学校」へとむかった。
足利市は「東の小京都」とも呼ばれ、日本最古の学校といわれる史跡足利学校や足利氏ゆかりの鑁阿寺(ばんなじ)をはじめ、数多くの歴史遺産が残され、今も古き時代の面影が感じられる。

青木薫会長を中心とする役員会員13名は、森下喜一 元鳥取大学院教授と共に、今回だけ、特別に閲覧の許可が出た「刺繍鳳凰文胸背」を見せて頂くために、足利学校へ入った。

「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」と言われる足利学校。

その創設については、諸説があるが、鎌倉時代の初期、足利氏2代目義兼(よしかね)が一族の学問所として興したとする説が有力とされている。

1549年にはフランシスコ・ザビエルが訪れ、足利学校を「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、1553年から1554年の頃には「学徒三千」と言われるほどになり、当時の日本を代表する学校として、易学や儒学を中心に実践にも役立つ学問を教えていた。

足利学校所蔵品の中で、朝鮮とのゆかりの品は「刺繍鳳凰文胸背」(ししゅうほうおうもんきょうはい)がある。

胸背は、中国や朝鮮で朝廷に仕える官僚が、階級をあらわすしるしとして官服につけた装飾用の方形の布である。

18世紀後半においては、文官が鶴・鳳凰、武官が獅子・虎で、双を成す方がより位の高い人物をあらわしたようである。

この品は、朝鮮通交修文職であった建仁寺の海山覚暹(かくせん)が、
明和7~9年(1770~7772)にかけての対馬での任務を終え、江戸金地院に報告に訪れたさい持参したものを、
当時の僧録司金地院蒼溟元汸より、親交のあった足利学校の、庠主・千渓元泉(しょうしゅ・せんけいげんせん)に
その由来書とともに贈られた。

李氏朝鮮時代の工芸品の技術を知る上でも貴重な品であるという。

参加者は、特別な品がここ足利学校にある事を知り、足利と朝鮮は学問上で、親密な関係であったと思わされる一日であった。

また参加者の中には、「孔子様は朝鮮人であった」という話も出たりして、

今迄、足利学校は、儒学・孔子様との関係だけの視野であったが、
今回、特別に見せて頂いた「刺繍鳳凰文胸背」を目の前にして、足利学校と朝鮮王国との関係を確認する事が出来た貴重な内容であった。

2010年7月 「日光東照宮」を訪問致しました!

平和統一聨合栃木県連合会は、去る7月21日に、
「第2回栃木の歴史を訪ねて」テーマ~日光東照宮と朝鮮通信使~と題し、日韓の足跡を訪ねる行事を行なった。
役員会員7名が栃木県日光市にある日光東照宮に向かった。

今から約200年前の朝鮮からの使節は、1607~1811年までに12回を数える。

その内、第4回(1636)、第5回(1643)、第6回(1655)の3回は、日光まで参詣している。
朝鮮王国からの通信使は、日光に素晴らしい宝を遺した。

その中でも、朝鮮鐘は、東照宮陽明門手前、向かって右側にある大鐘である。
参加者はこの大鐘にとても感動していた。
これは、1643年(第5回)の進物で、今では、東照宮に来る観光客に見せる為に、低く懸けられ鐘銘を読む事が出来る。
銘文は、東照宮大権現家康のために東照宮を立てた家光の孝行が強調されている。
また、家康公奥社宝塔の前には、朝鮮通信使が、銅鐘(朝鮮鐘)と共に奉納した香炉、燭台、花瓶の三品、三具足(みつぐそく)があった。これは、寛永20年(1643)に東照社(東照宮)に参詣した。

奥院の宝塔前に置かれているが、これは文化9年(1812)の火災で焼失し、その後日本で鋳造されたものが現在の品である。

このほか、朝鮮通信使が日光に遣わした物は多々あった。
それは、銅燈篭、李朝の敷物(大花筵)、国王孝宗書、楽器(ぎょ、しく、しつ)等である。

これらの朝鮮通信使からの贈り物は、まさしく「日韓の平和外交のシンボル」である。
参加者は当時の日韓外交の交流に感動をしていた。

その後、2007年12月に朝鮮通信使を記念するために建立された石碑へとむかった。
それは、日光市今市にある「朝鮮通信使今市客館跡碑」である。
これには、「信(よしみ)を、通(かよわす)善隣友好の使節・朝鮮通信使~日韓両国民の更なる相互理解と友情を深めるため」と刻まれていた。

参加者一同、「日韓友好の為、2010年をスタートの年にしよう!」と決意をあらたにした。

2010年5月 国宝 「那須国造碑」を訪問致しました!

平和統一聨合栃木県連合会では、去る5月12日(水)に、
「栃木の歴史を訪ねて」と題し、「第1回・国宝/那須国造碑(なすのくにのみやつこひ)を訪ねて」を開催した。
栃木県連合会の役員・会員ら参加者10名は、栃木県が渡来人(特に朝鮮半島)によって築かれた地域である事を知ることにより、地域から平和を築く事が出来ると考え、今回の行事を企画した。
当日は、晴天に恵まれ、なす風土記の丘資料館では、学芸員の眞保昌弘先生より詳しい説明を受ける事が出来た。
地元大田原市にお住まいの、元大田原市議会議長である井上辰巳先生も参加され、とても良い交流が出来た。
国宝の那須国造碑を拝観すると当時の技術もさることながら、新羅人の文化の高さを実感する内容であった。
その後、レストラン牧場で昼食を取りながら賑やかな歓談の一時であった。
最後に、小川館で、再度、眞保昌弘先生の案内を受けながら、那須地域がこれほど重要な地域であった事を深く知り、当時の新羅人、高句麗人に感謝するばかりであった。
最後に、眞保昌弘先生は「地元の小学6年生は必ず学習の一巻として資料館に来ます。そして、この地域は何もないと思っていた子供達が、この様な内容を知り、勉強やスポーツに頑張るようになります。子供達に文化の誇りを伝える事は大切ですね」と話していた。
参加者は、「今迄、こんなに重要な地域であった事や日本最古の石碑である事を知り勉強になりました」と感想を述べていた。
今から、1300年以上も前の、687年に14人の新羅人がこの地域に来たという。参加者一同は先人に対し感謝の思いを抱き、「今後もこの様な活動をしていきましょう」と意見を交わし合いながら散会した。(文責・野口)