2010年9月 「足利学校」を訪問致しました!

平和統一聨合栃木県連合会は、去る9月15日に、
第3回「栃木の歴史を訪ねて」と題し、栃木県足利市にある「足利学校」へとむかった。
足利市は「東の小京都」とも呼ばれ、日本最古の学校といわれる史跡足利学校や足利氏ゆかりの鑁阿寺(ばんなじ)をはじめ、数多くの歴史遺産が残され、今も古き時代の面影が感じられる。

青木薫会長を中心とする役員会員13名は、森下喜一 元鳥取大学院教授と共に、今回だけ、特別に閲覧の許可が出た「刺繍鳳凰文胸背」を見せて頂くために、足利学校へ入った。

「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」と言われる足利学校。

その創設については、諸説があるが、鎌倉時代の初期、足利氏2代目義兼(よしかね)が一族の学問所として興したとする説が有力とされている。

1549年にはフランシスコ・ザビエルが訪れ、足利学校を「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、1553年から1554年の頃には「学徒三千」と言われるほどになり、当時の日本を代表する学校として、易学や儒学を中心に実践にも役立つ学問を教えていた。

足利学校所蔵品の中で、朝鮮とのゆかりの品は「刺繍鳳凰文胸背」(ししゅうほうおうもんきょうはい)がある。

胸背は、中国や朝鮮で朝廷に仕える官僚が、階級をあらわすしるしとして官服につけた装飾用の方形の布である。

18世紀後半においては、文官が鶴・鳳凰、武官が獅子・虎で、双を成す方がより位の高い人物をあらわしたようである。

この品は、朝鮮通交修文職であった建仁寺の海山覚暹(かくせん)が、
明和7~9年(1770~7772)にかけての対馬での任務を終え、江戸金地院に報告に訪れたさい持参したものを、
当時の僧録司金地院蒼溟元汸より、親交のあった足利学校の、庠主・千渓元泉(しょうしゅ・せんけいげんせん)に
その由来書とともに贈られた。

李氏朝鮮時代の工芸品の技術を知る上でも貴重な品であるという。

参加者は、特別な品がここ足利学校にある事を知り、足利と朝鮮は学問上で、親密な関係であったと思わされる一日であった。

また参加者の中には、「孔子様は朝鮮人であった」という話も出たりして、

今迄、足利学校は、儒学・孔子様との関係だけの視野であったが、
今回、特別に見せて頂いた「刺繍鳳凰文胸背」を目の前にして、足利学校と朝鮮王国との関係を確認する事が出来た貴重な内容であった。

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